新開の神々

佐久田口の土蔵や土塀の並ぶ、狭い道路を抜けると鬱蒼とした森の中のお社に到着した。新海三社神社の御祭神は、佐久地方開拓の祖神である興波岐命(おぎはぎのみこと)、御父神の建御名方命(たけみなかたのみこと)、御伯父神の事代主命(ことしろぬしのみこと)、誉田別命(ほむだわけのみこと)の四柱をお祀りする。神紋は、梶の葉紋で諏訪明神の神紋である。

拝殿の勾欄(こうらん)には擬宝珠(ぎぼし)が設られており、神宮寺から移築した建物だと思われる。拝殿の裏手に三つのお社が建てられており、向かって左手の朱いお社の西本社に事代主命と誉田別命、同じく朱いお社の中本社に建御名方命、桧皮葺(ひわだぶき)の渋いお社の東本社に興波岐命をお祀りしている。誉田別命をお祀りしているのは、源頼朝公の沙汰と寄進によるものと伝えられている。

興波岐命は、新開(にいさく)神・大県(おおあがた)神・八県宿禰(やのあがたすくね)神とも称され、佐久地方開拓の祖神として古墳時代にこの地に祀られたそうである。この地の佐久の名は、御祭神の「にい・さく」に由来していると云う。

中本社と東本社の間に広場があり、ベンチが置かれて不思議な配置になっている。調べてみると境内に四つの古墳があるそうだが、今回は見つけることができなかった。朱いお社の裏手に、仏舎利塔のような石塔があり、神宮寺由来のものなのかよくわからない。

東本社裏手に、三重塔が残されている。嘉祥2年(849)神宮寺の塔として建立されたものであるそうだ。神宮寺跡は、東隣に石垣が残されており、敷地内は草むらで覆われている。

池に架けられた橋を渡ると立派な石垣に急な石段が続いている。登ってゆくと簡素な作りの絹笠(きぬがさ)社が建てられている。こちらは蚕の神様であるらしい。この裏手に東御陵と呼ばれる古墳が2基並んでいるそうだ。簡素なお社と石垣のバランスが合わない。廃仏毀釈の前は、神宮寺のお堂があったのかもしれない。

森の中の参道を下り、古い屋敷の並ぶ通りの突き当たりまで歩いてゆくと、木造の大鳥居が建てられている。大鳥居にしめ縄が巻きついている。こちらのしめ縄は龍神様であるのだろう。鳥居が境内のある山を拝して建てられているのがよくわかる。こちらの神社は神仏習合の形式であったが、古式神々を今に伝えている。

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