安楽寺の六角三重塔

北向観音から徒歩で数分、北西の位置に安楽寺が建てられている。崇福山(そうふくざん)護国院(ごこくいん)安楽寺(あんらくじ)と称し、開山は樵谷惟仙(しょうこくいせん)。ご本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)をお祀りする。信州で最古の禅寺だと云う。

杉の木立の中を抜けると階段の先に山門が開かれている。参道の突き当たりに本堂があり、丸い宝形造りの屋根の上に三つ鱗(みつうろこ)の寺紋が見える。塩田荘を領した塩田北条氏の由来であるのだろう。

本堂の脇に池があり、水面に林の樹々の姿を写している。参道の入口には水気のない場所に弁天堂に弁財天がお祀りされている。なぜ池のそばに弁天堂を建てないのだろう。もしかしたらすぐそばにこの池から流れる小川が流れていたのかも知れない。

「伝承では天平年間(729-749年)、行基の建立とも言い、平安時代の天長年間(824-834年)の創立とも言うが、鎌倉時代以前の歴史は判然としなく、平安時代末期には律宗寺院であったとされています。安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代、実質的な開山である樵谷惟仙が住してからです。樵谷惟仙は、信濃出身の臨済宗の僧で、生没年ははっきりしないが、13世紀半ばに宋に留学し、著名な禅僧の蘭渓道隆(鎌倉建長寺開山)が来日するのと同じ船で寛元4年(1246年)、日本へ帰国したと言われております」(安楽寺ホームページより

ここ別所の地にある長楽寺(北向観音)、安楽寺、常楽寺を指して三楽寺といい、行基菩薩の建立と伝わる。この地に三つのお寺を建立したのは、どういう由縁であるのだろう。元々三つの元となる何かがあったのではなかろうか。

安楽寺の本堂裏手の階段を登ってゆくと森の中に三重塔がそびえている。お墓に囲まれて建てられている国宝の八角三重塔だ。

「建築様式は禅宗様(鎌倉時代に宋から禅宗に伴って伝来した様式で唐様ともいう)八角三重塔で、初重に裳階(もこし:ひさし又は霧よけの類)をつけた珍しい形式であるうえに細部も又、禅宗様の形式からなり類例が少ない。(中略)塔は印度のスツーパを起源とし、元来仏舎利(釈迦の遺骨)を奉安したものだが、中世以降は特定の人物又は戦死者の供養に建てられた例が多い。資料が乏しく造塔の縁起は詳かでないが、この塔もおそらくそのような目的で建てられたものと思われる」(安楽寺ホームページより

「中世以降は特定の人物又は戦死者の供養に建てられた例が多い」のだとしたら、こちらにお祀りしているのは、どんな人物なのであろう。やはり北条氏ゆかりの人物と考えるところだが、由縁が伝わっていないのはどういうわけであろう。何か隠さなければならない理由があったのかもしれない。

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